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| 北越戊辰戦争 勃発の場 |
| 市指定文化財 |
| 【河井・岩村会見の処】 |
1868年(慶応4年)、反抗勢力の制圧に乗り出した西軍が、幕府領で会津藩預所となっていた小千谷に迫ると、長岡藩家老・河井継之助は抗戦か恭順かを巡る藩論を抑えて、他力に頼らず、冒されず己の力で生きていく「武装中立」を主張しました。
長岡城に迫り来る西軍に対して防戦態勢を整えた継之助は、同年5月2日、小千谷の西本陣に乗り込み、慈眼寺において西軍土佐藩士・岩村精一郎と会談に臨みます。

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継之助は非戦を訴え、西軍の進行停止を訴えましたが、願いは聞き入れられず、会談は決裂。
これにより、継之助は徹底抗戦を決意し、北越戊申戦争の激戦が始りました。継之助と岩村が談判した 慈眼寺の「会見の処」は当時の様子を偲ぶことができます。 |
立派な山門は「仁王門」とも呼ばれ、明治25年に建立されました。境内には弘法大師作と伝えられる本尊聖観世音菩薩がまつられた観音堂、戊辰戦争時の談判を記した「会見記念碑」、「河井、岩村会見の処」があります。 |
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市街地南部の小高い丘にある船岡公園内には西軍墓地があります。北越戊辰戦争における多くの戦死者は周辺寺院などに埋葬されていましたが、明治40年頃有志により現在の地に集められ、墳墓が建てられました。 |
河井・岩村の会談決裂後、北越戊辰戦争は激化していきました。死闘が繰り広げられた朝日山では、両軍の大砲小銃が絶え間なく響き渡ったといわれています。山頂付近にはフランス式塹壕や野営場の跡があります。 |
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【木喰上人作 三十三観音他二像】
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■受け継がれる熱い信仰心
地域の人々の信仰心を集める神社仏閣が各地に点在する小千谷市。小栗山地区の木喰観音堂には、中尊如意輪観音像をはじめとする33体の観音像と行基菩薩・大黒天像が奉納されています。これらの仏像は、江戸時代後期の遊行僧である木喰上人が1803(享和3)年から約2年小千谷市に滞在して彫り残したものです。イチョウの木で彫られたそれぞれの仏像は、大きく孤をえがく目、深い笑みをたたえた口もとなどが特徴的で、微笑仏として愛されています。
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〔開催期間〕
7月13日〜15日 |
祭礼では、山の神(天狗)を中心に牡獅子・牝獅子・子獅子の3頭と子供たちが舞う「豊年獅子舞」、巫女と爺の人形がお囃子に合わせて踊る「巫女爺(みこじい)人形操り」が披露されます。
「巫女爺(みこじい)人形操り」は平成20年に、新潟県指定文化財になりました。
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 豊年獅子舞

県指定文化財 巫女爺(みこじい)人形操り |
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桜の名所としても名高く、市街地から気軽に散策できる公園です。園内からは越後三山や信濃川が一望でき、見晴らしの良い公園として親しまれています。4月上旬からぼんぼりが灯り、風情あふれる夜桜を楽しむことができます。また北越戊辰西軍殉難者墓地があります。
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| 1978年に小千谷市立図書館内に開設された記念室には、貴重な蔵書1,200冊などが展示されています。 |
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小千谷市立図書館内
1894年に小千谷で生まれ、89歳で生涯を終えるまでに多数の著作を残した西脇順三郎。詩集「旅人かへらず」「第三の神話」などの作品は、現代詩壇に大きな影響を与えました。1964年小千谷市名誉市民となり、1971年に文化功労者に選ばれました。
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