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廣川晴軒

三元素略説(さんげんそりゃくせつ)

享和3年5月20日生まれ。越後(新潟県)小千谷の商人。57歳で江戸に出、箕作阮甫(みつくり げんぽ)の塾で洋学を学ぶ。慶応元年発刊の「三元素略説」で、温(熱)、光、越素(電気)は本来同一のものであると論じた。
この説は死後、狩野亨吉(かのう-こうきち)によって紹介され注目された。明治17年1月14日、82歳で死去。
通称は徳三郎。別号に九皐楼(きゅうこうろう)主人。  

廣川晴軒ゆかりの品々

広川晴軒(1803年〜1884年)は、小千谷の旧家、広川三右衛門家の次男として生まれ、のちに分家の広川徳三郎家を相続しました。弘化3年(1846年)、算学者の佐藤雪山(せつざん)に入門し算学を学び、安政6年(1859年)6月江戸に出て箕作阮甫(みつくりげんぽ)の塾に入り天文学、窮理学(きゅうりがく)等を学びました。有名な「三元素略説(さんげんそりゃくせつ)」を著したのもこの頃で、西洋の物理学に刺激されて、温素(おんそ)(熱)・光素(こうそ)(光)・越素(えっそ)(電気)の三元素を立て、これが根本において同一のものであるとし、すべての物理現象を説明しようとしたものです。
また、明治3年(1870年)には、当時使われていた太陰太陽暦から、太陽暦への改暦の建白(けんぱく)を当時の集議院(しゅうぎいん)に対して行った日本科学史上の先駆者の一人です。現在、遺稿・地図・日記・測量具等138点の資料は、小千谷市教育委員会で保管しています。

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